『南アフリカらしい時間』を読んで
この本を読んでいることについてはすでに書いた。
読み終わってしばらくして、
何がこの本からでてきて
私に働きかけたのだろうかと
考えていたが、わからなかった。
そしたら今日、ある患者さんとの会話をした後、
自分が「鍼灸師」としてその人と会話をしていたことに気がついた。
そして
『南アフリカらしい時間』にでてくる人たちは
著者も含めて、その人の肩書きや職業を前面におしださず、
人として相手と接しているのだということに気がついた。
相手が患者さんであっても誰であっても、
鍼灸師としてではなく、
まず一人の人として相手と接することができるようになりたいなあと
思った。
読み終わってしばらくして、
何がこの本からでてきて
私に働きかけたのだろうかと
考えていたが、わからなかった。
そしたら今日、ある患者さんとの会話をした後、
自分が「鍼灸師」としてその人と会話をしていたことに気がついた。
そして
『南アフリカらしい時間』にでてくる人たちは
著者も含めて、その人の肩書きや職業を前面におしださず、
人として相手と接しているのだということに気がついた。
相手が患者さんであっても誰であっても、
鍼灸師としてではなく、
まず一人の人として相手と接することができるようになりたいなあと
思った。
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